Horses

馬だけの島を生み出した歴史

 根室市の落石地区にある昆布盛漁港のすぐ眼前に浮かぶユルリ島。この島が馬たちだけのユートピアとなるまでの数奇な運命には、対岸の昆布盛集落の名の由来ともなった昆布が大きくかかわっています。ユルリ島周囲の海の豊かさを象徴する昆布ですが、その漁には採れた昆布をその日のうちに乾かすための干場を確保する必要があります。しかしいまから70年ほど前の、終戦の混乱も収まり切らぬ時代、復員や移住などで根室に向かった漁民たちには、すでに漁港の周辺では好適な場所を見つけることができませんでした。そこで彼らは干場を求めてユルリ島に渡ったのです。

 とはいえ、ユルリ島は周囲のほとんどが海面から急角度で立ち上がる断崖となった、台地状の島。崖の上の草原を拓いて干場を作っても、水を含んで重い昆布をそこまで引き上げることは容易ではありません。そこで島民たちは馬を利用したのです。島では十軒近くも建ち並んだ昆布番屋の住人が、それぞれに馬と暮らしていたのだといいます。

 しかし戦争が次第に遠い記憶になるとともに、ユルリ島の干場はその必要性を減じていきます。漁港周囲の整備が進んで新たな干場が確保しやすくなる一方、漁船の動力は艪漕ぎから船外機に変わって、昆布の収穫場所と漁港との行き来が容易になりました。番屋の住人は落石地区へと帰還を始め、まるで砂時計の砂が落ちるようにその数を減らしていって……。そしてついに最後の島民も島を後にしたのです。それが1971年のこと。島には馬たちだけが残されました。

 それでもユルリの馬たちは、幸福であったといえるのでしょう。馬が好んで食すアイヌミヤコザサが島を覆い、さらにそこには幾筋もの澄んだ沢が走っていました。かつての島民たちも折に触れて島に戻り、馬の管理をしていました。こうして馬が生きるための理想の場所をそのまま封じ込めたような世界の中で、馬は代替わりを重ねていったのです。島は自然の放牧場へとその役割を変え、新たに生まれた雌はそのまま島に残され、雄は一歳馬(明けて二歳)になると競市に出されるために運ばれました。こうして最盛期には30頭もの馬が、人影の消えた島に生息していたと記録されています。

 ただこの世界にあっては、理想を維持するのは常に困難です。元島民の高齢化も進み、馬の管理は負担ともなってきます。雄馬を島外に運び出すためには投げ縄などの特殊な技術が要求されますが、その熟達者も減っていきます。2006年、ユルリ島は自然放牧場としての役目を終えることに決まり、18頭となっていた島の馬たちが以後の交配を重ねることがないように、島から雄馬だけを遠ざけることとなったのです。当然、雌馬だけとなった群れは増えることがなくなり、2013年には10頭、そして翌年には5頭にまで、ユルリの馬は数を減らしていきます。

 静かに消え去ることが運命づけられたユルリの馬たち、しかしその運命を従容として受け入れようとしている馬たちをただ見送ることが正しいことなのか、答えを出すことは難しいように思われます。少なくともこの島は、理由もなく馬たちのユートピアになったわけではありません。そこに至るまでには、歴史の波の中で必死に生き切ろうとした人間のかけがえのない日々の営みがあったのです。いま、ユルリ島の草原を駆ける馬たちは、そうした歴史の遺産、いわば貴重な証人でもあるのですから。

 2018年、ユルリ島の草原には新たに3頭の仔馬が放たれました。彼らは順調に、健康に島での暮らしに溶け込み、ユルリの馬はまた新しい歴史を刻みはじめました。そして今日も、新しい群れは誰に守られることもなく、また誰に縛られることもなく、幻の島の上を自由に駆けているのです。

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道東の馬に息づく気高い血脈